サンタクロースってなんなんだ

インパルス(敬称略)の板倉(敬称略)のエッセイ(敬称略)を読んで, 少し疑問に思うことがある.
「サンタクロースってなんなんだ」

 

噛み砕こう.
インパルスの板倉のエッセイには, インパルスの板倉が子供の頃に親御(敬称略)から「サンタ(敬称略)はいない」と言われたときの体験が綴ってあった.

 

そこで私の中に生まれた疑問を以下にまとめる

1. サンタクロースが存在する利点
2. サンタクロースがいないと何が問題なのか
3. 本当にサンタクロースを信じているのは誰か

 

以上の疑問に対する私なりの回答をまとめる

1. サンタクロースが存在する利点
多くの場合, サンタクロースの存在は「良い子のための」という枕詞とともに子供に擦り込まれる.
子供にとってサンタクロースはまごうことなき神だ. 一般的に, 日本では親が子供をしつけるためのツールとして, サンタクロース神話が存在するように思える.

 

2. サンタクロースがいないと何が問題なのか
子供は存在しないおもちゃ配達の神の存在を頑なに信じる. (あえて強引に表現するが,) 都合の良すぎる誤った神話を疑えるほど子供は情報強者ではない. クリスマスに近づくにつれ, 親は子供の行動の軛として, 「サンタさん」という言葉を使う. 「さん」は子供にとっては「様」も同義である. 道徳心の刷り込みに, 「サンタさん」は最強クラスの強化子である. サンタさんを用いない教育者は, 新たな教育方針を模索する必要に迫られるのかもしれない.

 

3. 本当にサンタクロースを信じているのは誰か
子供はいずれ大人になるにつれ, 「サンタさん」の呪いを脱却する. 板倉のエッセイにはその過程が綴られていた. 本来倫理を知らぬ子供は, 親a.k.aサンタさんの導きによりクリスマスの度に高いモラルを獲得する. (もちろん, 子供のモラルの獲得要因がサンタさん経由のみではないことは言うまでもない.)
これは正しいことなのだろうか, ありもしない神話は子々孫々受け継がれてゆく. 私もいつの日か無垢な子供に都合の良すぎる嘘を刷り込む日がくるのかもしれない.
彼は「赤い服」を着用し, 「バカみたいにデカい白い袋」を肩にかけ, 「空を飛ぶトナカイのソリ」に乗り, 「全ての良い子」の「一番欲しいもの」を「クリスマスの朝」に「枕元」の「靴下」に入れておいてくれる.
無垢な共同幻想と無垢なバイアスが信仰を担保する. 私もその輪の一員である.

チョコレートおじさんの見解

チョコレートおじさんは私に対してこう言った.
「俺にはコロナウイルスがインフルエンザとどう違うのかわからない」
正確には一人称は「I」であったが, 口調・話速・アクセント・外見から推測するに, 明らかに「俺」が対訳として最適解であった.
また, 彼は続け様に,
「ヨーロッパでは流行ってない」
とも言った.

 

私は直球の正論に納得してしまった. もしも私がウンパルンパであったら, 例のジェスチャーを反射的にキメていたかもしれない.

私は普段の生活で他人の苦しみを理解することはほとんどない. もちろん, 世の中の人間の多くが苦い思いをしながら精神を溶かしているのは知っている. そうだと思っている. しかし, 私はそれに関与しない.

こういう議論がある. 生まれながらの独裁者は他人が心を持つことを知るのか? という命題である. 他人の痛みは自分の痛み足り得るのか, と置き換えることもできなくはない.

 

一方, 私は生まれながらの被扶養者である. しかし, 一学生の身の上であり, 被支配者の立場, その屈辱を友人と共有出来るということを知っている. しかし, 完全に自分と共通点の認められない人間 (例: ブラジルのカルロス) に心があるとは思えない. 実は私はカルロスとあったことがない. カルロスも私とあったことがない. しかし, 私はブラジルにはカルロスという男性がいるであろうことをなんとなく想像できる. なんの話や.

 

チョコレートおじさんに話を戻そう. 彼の名はグスタフ. 本来は一人称は「我」であるべきだが, 私は会話の中で彼の「I」は「俺」であることを確信した. 話は軽妙で面白く, チョコレート工場勤務であると自称していたので, 私は彼を気に入った. そんな彼に「コロナウイルスのせいで欠航になったフライト」の愚痴を私が打ち明けると, 彼は上述のような簡便な見解を述べた. 特に悪意があったわけではなく, 単純に「インフォ・デミック」と形容される昨今の事情を揶揄しての発言であったと私は推測している. 妙に説得力を感じた. もしかすると彼の「俺は毎日2.5tのチョコレートを作っている」という発言による説得力なのかもしれない. なんの話や.

 

旅行代理会社に私から一言. お互い辛いけど頑張ろうな.

なんの話や.

知能開発のジレンマ

人間の高次の認知機能の多くはブラックボックスだ. コンピュータプログラムの高次の処理機構ももしくは我々にとってそうなのだろう.


しかし私は両者の間に大きな隔たりを認識する. それは, 自然にあったものなのか・何者かにデザインされたものであるのか. という点に横たわっている. コンピュータプログラムは人間がデザインしたものであるため, 人間の手によって開発が為される限りは, 少なくとも一部のエンジニアにとってはブラックボックスではない.


私は更に未来に疑問を投げかける. もしも, 人間がその手で完全に独立した知能を開発した時. (*本文において, 人工知能の技術的特異点に関して論じない)
その時に人間は己の知能より, 自らがデザインした知能の方を理解することになるのではないか. (*人工知能研究と脳科学研究の兼ね合いではそうなり得るという意味である)

 

そして, 知能を持った神がいるとするならば, 神は己の知能機構を理解し得るのだろうか. (*強引に人工知能の技術的特異点にこじつけるならば, 神は人間をコントロールできるのかという議論にもなり得る)

死すならば戦いの荒野で

どうもね.

 

タイトルは今聴いてるポッドキャストの「さくら通信」の内容から表面的に引っ張ってきました. (このポッドキャストについては多分後述)

「今回は敬体でいこう」って今思ってます.

 

インスタでストーリーに超高速4連ポストしたんですけども (おそらく多くの人には1度のポストにしか見えていないはず).

実は俺は現在かなり面白い状況にあるわけです.

本来なら全ての人間の身に起こったオモシロはNaverまとめ上で丁寧にまとめられるべきです.

しかし, 俺には""表面的""なフォロワーしかいません, それはNaverまとめに「@rintaro_toilet 職場幽閉事件まとめ」を作成してくれる狂信者がいないことと同義であるわけです.

ということで, 自分で自分の面白体験をまとめます.

 

コンプラ with リテラシー的に詳しくは言えませんが, 俺は今, インターン的なものの真っ最中かつ大詰めです.

ダフトパンクのTechnologicの歌詞みたいに頑張っているにもかかわらず, 時間は積極的に俺の首を狙ってきています.

そんな中, 今日, ほんの少しだけ, マジでほんの少しだけ作業をしようと,夜11:30くらいに自宅を出立し, 職場に赴きました. 

日付変更直前には職場に到着.

職場はカードキーシステムでドアの開閉を管理しているので, 夜間でも「すい〜」って入れました. このような類の恩恵の度にシステムへの信仰が深まりますね.

ここで, 日付が変わりました.  (「一日即一生」的には「NEW ME」なのですが, 俺的には昨日からの延長線上, 場合によっては明日への通過点の「ブリッジ的 ME」ってバイブスです.)

その後, 作業場にインしようとすると, 全くもってカードキーが使ず, 入室できませんでした. 「猫かよ」ってくらい謎だったんで, 速攻でおうちに帰ることにしました.

俺は進入時と全く同じ通路を辿って, 全く同じ出口 (元入口) から職場を退出しようと画策しました, 無意識レベルで画策していました.

この建物は退出の際にすらカードキー認証が必要なので, 俺はカードキーにサヨナラのキッスを指示しました.

しかし, 全くカードキーは有効に動作する気配はありません. 当然, ドアは微動だにしないわけです.

俺はビビりました, 「マジで!?」と脳内でツイートしながらウロチョロしました.

ウロチョロしてわかったことは, 「職場どころか, ロビーの限られたスペースから出られない」ということ.

以下は俺の仮説です.

1. 0時以降の一定時間は完全にカードキーによるアクセスが無効

2. 俺はギリギリ有効時間内に職場に進入

3. その瞬間カードキーが無効に

4. 完全に幽閉

5. おそらく午前6時くらいまで「無」

で, 今に至ります. (1077文字執筆現在)

 

インスタのストーリー投稿の解釈に必要な情報は以上にまとめてあるつもりです.

なんらかのレポート課題の情報収集のために当エントリーを御来訪なさった学生様は御用件を満たされたことと存じますので, ますますの発展をお祈り申し上げます.

 

以降はマジの反省会です.

 

まず, 「インターンの業務内容の計画の詰めが甘かったのかも」というのはそもそものそもそも論なので今回の議論の対象外とします. そもそも俺はそこそこ頑張ってる気もする.

この会場では, 反省期間の最大単位を「昨日, 今日らへん」として論じます.

 

では, 第一に, 18:30に職場を辞したのがマズかったかと. 本来なら, 期限が差し迫っている, かつ施工期間の不明瞭な状態のタスクは「なるはやで処理」が俺の忍道なんですが, お腹が減った (クレカが使えなくなったので節約しているため) 上に, 街中のとあるイベントハウスで楽しみなイベントが予定されていたために, 結果として己が忍道に背きました.

もしも18:30に帰らず作業を続行していたら, 「いい感じ」になっていた気がします.

 

第二に, 職場に来たタイミングも悪かった. 日付変更 (特異点) の限りなく直前に職場に進入し, その瞬間にゴミと化したカードキーとともに何もできず, しかも家にも帰れず.

これがもう少し前後していれば, 「本来の目的であった作業」または「安眠」が手に入ったわけです.

 

第三に, システムに対する誤った信仰です. 俺はカードキーとそれをはじめとしたシステムは恒久的に不変の恩恵をユーザーにもたらすものだと思い込んでいました.

つまり, ブラックボックスの仕組みを都合よく勝手に解釈していた, ということです. もう何も信じられません. 現在一緒に住んでいる猫ですら何を考えているかわかったものではありません. そういうご時世なのかもしれない.

 

最後に挙げられる悪は, (結局のところ, スーパーそもそも論ですが,) 昨日以前に俺と関わったことのある生物, 非生物, 家具, 非家具, 概念, 非概念の全てです. 

最大にして最悪の悪.

最悪の悪です.

最悪の悪 (お気に入り).

悪は, 身近なところで言うと, 夕方にイベントハウスでめっちゃ面白いポッドキャストを教えてくれたカス, インスタで俺とDMしてたカス数人.

いつか吹いた風ですら.

在りし日の風が巡り巡って桶屋を繁盛させるとともに俺を職場に幽閉したのでしょうか.

 

ここまで見てくれた熱心な読者ですら

多分、カス.

グッドバイ・ノイジー・ワールド

朝10時, 私.

昨日, 夜8時に寝たのに... "早寝早起き"の早起きのみに失敗することで, クラシカルな教訓である, 「二兎を追うものは一兎も得ず」を思い出さざるを得ない.

そもそも, 最強の生活が"遅寝早起き"であることは自明なので, "早寝遅起き"は論理学上, クソの生活であることもまた自明である.

命題: 遅寝 ∧ 早起き → 最強

対偶: 最強ではない → 早寝 ∨ 遅起き

 

しかし, 自分のTo-doリストの中には"ラーメンを食べる"があったことを思い出し, 心の中に光が差し込む. 厳密に言えば, 昨日の18時に遂行すべきイベントであったのだが, 昨日のその時間に目的のラーメン屋に到着した時点で閉店30分後であったために, 再度赴く以外の選択が存在しなかったのである.

深夜まで営業しないラーメン屋が存在することも驚きだが, 大学内の購買に併設されているものであるため仕方ない.

昨日確認したところによると, 平日は11:00 ~ 17:30の間に営業しているとのことなので, 営業開始に合わせて家を出立した.

結局, 目当てのラーメンは高い and おいしくない and 辛い (自分で入れた大量の香辛料の影響)の三拍子なので, ロジカルにヤバかった.

しかし, ラーメン屋に併設されている購買で, 大学限定のパーカーとTシャツを買えたので心理的損害は抑えることができた. (*1経済的には最悪の一途, *2併設の対義語って何ですか?包含かな)

 

ところで, 2ヶ月のインターンシップで海外の大学に来ているがための生活を送っているのだけれど, 実務にあたる研究に費やせる時間が限られてきている. デスクに着き, コップ一杯の水とPCを準備すると, 即座にポドモーロ・タイマーをスタートする.

ポドモーロ・タイマーとは, 私のPCにインストールされているアプリケーションの俗称で, タスクの進行を管理するためのツールである. 具体的には, タイマーのスタート後, 25分が経過すると強制的にPCのスクリーンが5分間の間, スクリーンセーバーに覆われる. 当のスクリーンセーバーには謎の黒人 and 謎の格言に加えて5分間のカウントダウンの秒読みが表示され, その間に私は休息をとることができる. 私はその内, 初めの150秒をトイレに, 続く30秒を新しい水を汲むために費やすため, 実際に好きに使える時間は120秒である. その間にインスタグラムとラインに軽く目を通すことができる. 私は業務期間中に幾度も25と5を繰り返す.

ポドモーロ・タイマーは, 私の脳の一部であるPCを完全に掌握し, 本体である私をまるで時計仕掛けのロボットのように駆動する.

 

しかしとにかく, 時間がない.

ない, と言えば無いし, ある, と言えばある. くらいの無さである.

現在でインターンシップは1ヶ月を経過したところであるが, 何しろ準備や計画にしか時間を費やしていないため, これからのスケジュールは寿司詰め必須の大忙し確定である. 私は心理学の実験を実施しなければいけない (したい) ため, 被験者を集めなければならない. 教授に泣きついてリクルートしてもらうつもりであるが, 自分でも見つけておきたい. そもそも, 忙しいドクター・マスターコースの学生よりも, 学外の人間を自分でリクルートした方が時間の都合も効くし, 鼻も高い. そして何より, 大学見学を建前に週末に実験ができてしまうのは, 実験室のブッキングの面から考えても都合がいい.

そう言えば, 以前 "ある噂"を耳にしていた.

"日本同好会"的なものの存在

これを活用すれば良いのでは無いだろうか. 私は偶然にもSting並の"Japanese man in Europe"なので, 図らずも希少価値が高い.

これは業務, タスクだと己に言い聞かせ, Google上で日本同好会的なものの調査をする. 私は生粋のインターネッターなので, 即座に目標のページにたどり着くことができた.

どうやら, いわゆる日本同好会は, 街中のとあるイベントハウスを利用し, 定期的に交流会を開催しているらしい. しかも, そのイベントハウスのページを調べてみたところによるとまさに本日, マリオカートのトーナメントのイベントが開催されるとのこと.

クラシカルな諺である「渡りに船」が目の前に停泊している.

私はそのイベントに出席することを新たにTo-doリストに付け加えた.

 

業務を気合でちょうどいいところまで済ませ, 時間通りに目的地に向かった. 今日, Googleは無神教徒の神父で, Google mapはその我々のための羅針盤であるため. 彼らは私にも漏れなく進むべき道をハイライトしてくれる. 私は限界方向音痴なので, このようなツールを高度に駆使して生活しているつもりである.

私が到着したイベントハウスは, そういった類の"科学"を受け付けない代物らしく, 入場するためにどのドアをどう駆動すればよいものか皆目見当がつかなかった. 私なりに散々思案した挙句, 結局, 通りすがりの人に質問をした. 彼が親切に引き戸の使い方を教えてくれたので, 私は難なくイベントハウスに入場することができた.

 

私が到着した時間は開場直後であったため, イベントハウス内にはオーガナイザーと思わしき数名がNintendo Switchとスクリーンのセッティングを済ませているところであった.

私はその内の一名の女性に「貴殿が此度の催し物の主催者か」という旨の質問をしたところ, 「う〜ん、そんな感じっちゃそんな感じ」という, かなり雑でダルそうなアンサーが返ってきたので, こっちとしても「あっそ」って感じでバーカウンターに雑に腰掛けた.

カウンターを隔てて向こうに立っている男性にビールを注文し, 簡単な身の上話をする上で, 私は「いつもこんな感じのイベントを開催しているのか?」という旨の質問をしたところ, 彼は「1セメスターに2,3回程度」という回答をくれた. 人にイベントの頻度を説明するときに"セメスター"を使うセンスを疑ったが, 文化の違いなのだろうか. ともかく, そんなにレアなイベントに丁度ピッタリのタイミングで出席できた私はかなりのラッキー☆ボーイなのだろう.

そんなことをしている内に, 主催者っぽい女性がトーナメントのエントリー者を募りだしたので, 私は1も2もなくエントリーした. ローマ字で書いたファーストネームの横にひらがなでの名前もいじらしく併記してやった. 結果, 9名がこのトーナメントにエントリーする運びとなった.

その後, トーナメントを開始する前にマリオカートの動作チェックに主催者陣が1グランプリ4レースをプレイしていた. この時点で私は完全にその空間で反孤立状態であり, 人間の空間認知の非線形性に思いを馳せながら, イベントハウスの従業員っぽい女性と会話していた.

その会話の中で, 少し驚くべき事実が発覚した. 「このイベントハウスでは, 定期的に日本同好会 (便宜上の呼称) がイベントを開催していること」および, 「このマリオカートのイベントはそれとは一切関係がないこと」である.

思い返してみれば, 今日私が業務中に調べたWebページには, このイベントが日本同好会によるものであるとの記載は確認されていない. その上この疎外感. 彼らはおそらく同じハイスクールの友人で, 私は完全にストレンジャー. そう考えれば色々合点がいく. どう考えてもインスタントな地獄が完成しており, 私が主にその責め苦を受けている. 私は1番乗りでトーナメントにエントリーしてしまったし, ついでに名前もひらがなバージョンを併記してしまった.

トーナメントには私を含め, 9名の参加者がいるがおそらくこれは, 本来8名の予定で組まれたトーナメントだったのではないか. どう考えてもそんな気がする. 主催者陣がトーナメントの組み方に対して結構しっかり目の会議をしているから.

このあたりで, 主催者っぽい女性が私に, 「マリオカートしたい?」と聞いてきた. どう考えても反語的な質問であったろうに, 私は「うん」と答えた. 普通にマリオカートがしたかった.

結果, 第1ラウンドは, 3人ずつに分けられ, 各ブロック上位2名が第2ラウンド進出. 第2ラウンドも同様に3人ずつに分けられ, 上位2名が最終ラウンド進出. 最終ラウンドでは残った4名から優勝者を選出. というような綺麗なトーナメント形式が出来上がった.

私は, 第2ブロック目に割り当てられたので, そこで上手く負けてさっさと帰ろうと計画した. 帰ってビールを飲もう. 今日だけは2杯飲もう. 私の滞在している国では, 夜のある時間を超えるとアルコール類が購入できないため, できるだけ早めにイベントハウスを辞去しなければならない.

第1ブロックを観戦していると, 各参加者のプレイスキルはまちまちで, ちゃんと上手い人から最悪の初心者までいる. もし第2ブロックでこのような最悪の初心者と私がマッチングしてしまうと, かなりの苦戦を強いられるだろう. しかも, 1試合が1グランプリ4レースなので, およそ15分程度と結構長い. 間違って勝ち進んでしまうと思うと私の飲酒計画に暗雲が立ち込める.

ちなみに, 私は Wii Uマリオカート8をプレイした経験があり, しかもマリオーカート実況が一時期Youtubeのリコメンドに上がってくる程度にはプレイ動画もみたことがあるため, 初心者にバレずに負けるのは難しい.

私はかなりのクソバカなため, 自分のカートをスピードが最も早いチューンナップにしてしまった. 初心者には絶対為し得ない芸当である. しかし, 幸いにもNintendo Switch版のマリオカートをプレイするのは初めてであるため, スタート時にアクセルとバックを間違えて入力してしまい, ガッツリ流れに逆行してしまった. 当然最下位である, 私は安心した.

ところが, あと1名, 私と同じ挙動をしているカートがあった. 第2ブロックの魔物である. 私と彼女は同時に確信したことだろう. 「こいつを倒さなければ」と. アクセルのボタンの位置を把握した私は, 順調に順位を上げていくにもかかわらず, 彼女は冴えない順位をキープしている. 残りの1人は少しだけ話したところによると経験者だそうなので, 放っておいても問題はないだろう. 私は普通に走っていては第2ラウンドに勝ち上がってしまうことが必定なので, ダートインやコースアウトによって順位を下げようと画策した. できることなら完全にそれと分かる舐めプをかましたいが, 一応このイベントが真剣勝負の体裁を崩さない以上には, そのような興を冷ますような無粋な真似はしたくない. 言わずもがな, 学校の友人メインのイベントにお邪魔している時点でかなり申し訳ない節があるからだ.

しかし, そんな事故った内情を孕む私とは裏腹に, 私の操作するドンキーコングは安定感のあるドライブで上位に上がってしまう. おかしい, 私はコースアウトを狙っているはずなのに. 注意深く挙動や画面を観察すると, "ハンドルアシスト機能"が作動していることに気づいた. ハンドルアシスト機能とは, コースアウトになりそうなドライブを自動で修正してくれる補助輪的な機能である. ハンドルアシスト機能は平等に存在する. あるものには力を, あるものには命を. 私は科学技術の二面性を呪った.

第2ブロック第1レースでは, 私は7位, 経験者2(?)位, 初心者8位であった. ハンドルアシスト機能の甲斐あって, 初心者でも中位に食い込むことができ, 私は頑張ってバレないように順位を下げた. というのがこの結果を生み出した.

第2, 第3レースでは私と初心者の彼女の奮闘の甲斐あって, 我々はスコア上同点 (敗退候補タイ) となった. 最終第4レースで, 全てが終わる.

第4レースの舞台はヨッシーバレー. コース内の1部分が分岐しており, 経験者でないと最適なルートを選択するのは難しい. 私は経験者かつクソバカなので, 癖で最適ルートを選択してしまい, そのレースに勝利したため, 第2ラウンドに進出する運びとなった.

第2ラウンドに進む前に, イベントに参加していた人たち (トーナメント参加者, 観戦者)がタバコ休憩をしていた. 彼らがどのような会話をしていたのか知る由もないが, 当の私は, 「どうせ俺がいなくても奴は負けていた」という命題の証明に明け暮れていた. そもそもそういう問題では多分ないのだが. きっと問題は, 首からSonyのワイヤレスヘッドフォンを下げた派手なシャツのアジア人は場違いだということである.

その間に, アルコールの購入が禁止される時間が間近になったため, 私はイベントハウスのスタッフから2本目のビールを購入した. 結構美味しかったが, 飲みきった後に1本目, 2本目共にノンアルコールであることに気づいて, 何となく絶望した. そして, スーパーで寿司を買うことを決意した.

第2ラウンドでは, かなり上手い人しか残っていなかったため, 私は全力をだしたのにもかかわらず簡単に負けてしまった. 負けた私はスムーズに場を後にした. 普段からあらゆるイベントをスムーズに退場, 帰宅しているので慣れたものである.

 

今日は帰って寿司を食べよう. このイベントハウスには適切な日時にまた来よう. 今度はスムーズにドアを開けられるはず.

気づかず流れっぱなしだったSpotifyからはくるりのハイウェイ<Alternative>が再生されていた.

飛び出せジョニー気にしないで

身ぐるみ全部剥がされちゃいな

優しさも甘いキスも

後から全部ついてくる

 

Sonyのヘッドフォンが街の雑踏をかき消したら, 歪な世界に吸い込まれていけばいい.

夜という箱の中には死と睡眠と, 認知バイアスの海の底の石ころがあった.

時空の歪み/新たな宇宙

みなさん, 非同期通信ツール, LINE, 使ってますか.
"ライン", 二文字目以降を平板で発音してますか.

 

LINEに関して, マ〜ジでヤバい事があってテンションが上がったんで報告します.

 

インターネット大好き人間の私はLINEのグループチャット機能を使い,

いつものように気心のしれた友人たちと掛け替えのない時間を過ごしていました.

 

事の発端(ほったん)は以下のメッセージ(Figure 1)です. 

 

f:id:HIPHOP_TARO:20200118075709j:plain

Figure 1. 私のメッセージのスクリーンショット

 

Figure 1.に見られるのは, なんの他愛もないメッセージです.

「助けて」は本筋に一切関係ありません.

 

関係があるのは,

  • LINEの特徴である「既読システム」
  • グループチャットの特徴である「メンション機能」
  • LINEユーザの「表示名変更機能」

の3点です.

 

「既読システム」

LINEを使ったことのない異端者の奴に, 機関車トーマスにでもわかりやすい説明がこちら. 一旦まあとりあえず, 知らない人は読んできてください.

LINEの「既読」の意味知ってますか?SNS疲れがなくなる設定方法とは | サンクチュアリ出版 WEBマガジン

 

 

「メンション機能」

Figure 1.では, 私は2名のユーザをメンションしています.

これにより, メンション先に通知を送信するとともに, チャットの文脈の中で「2名へ対する発言」という行動を明示しています.

 

 

「ユーザ表示名変更機能」(この項は, 事実と符号しない表現を含む可能性があります)

Figure 1. では, 私は「Dr. ウコチャヌプコロ」と「宗一郎」に対してメンションをしました.

「宗一郎」は非常に平凡な日本名ですが, 「Dr. ウコチャヌプコロ」はその限りではありません.

そもそも, 「ウコチャヌプコロ」とはアイヌの言葉で性交を意味するものなので, 和語ではありません.

また, アイヌ文化圏の性交を研究している人間は, 私の気心のしれた友人の中にはおそらくいません.

さらに, 彼(表示上, 「Dr. ウコチャヌプコロ」)はそのようなある種特異とも言える名前を騙るような人間ではなく, 非常に正義感に溢れ, 自らを律し, 他人を赦せるとても良くできた人間です.

つまり, 彼の親から命とともに授かった大事な「名前」を私が陰で勝手に書き換え, 本人の預かり知らぬところで「愛」を笑いものにしていたわけです.

 

ただ, この日はなぜか私の中の良心の呵責が波打ち, 胸の内を騒がせました. 

そこで罪を背負った子羊さながらの私は, 心の内の善に従い, Figure 1.のスクリーンショットをグループの民に公開する道を選びました.

コミニュケーションのすれ違いが後悔を生むことを, この20余年の航海の中で学んでいたのです.

本当の動機:

俺には「@Dr. ウコチャヌプコロ」と表示されている一方,

他のメンバーにはLINEの仕様上「@彼のユーザ名」or「@各々の設定した表示名」と表示されている.

スクリーンショットを送ることで,

"LINEの仕様が生み出す視点のギャップ"

を利用したオモロが発生しうるだろう.

その時, 心の内の善に従い, 光に包まれた道, しかし険しい道を進むこと. それを選んだ敬虔な私の前に奇跡が起きました(Figure 2).

 

f:id:HIPHOP_TARO:20200118075921j:plain

Figure 2. Figure 1.を送信後のスクリーンショット

 

 

Figure 2. は私が体験した奇跡です.

少し煩雑な状況なので, 噛み砕いて説明しますと,

  1. 「助けて @~ @~」のメッセージを送信
  2. 「助けて @~ @~」のメッセージが既読1の状態でスクリーンショットを撮影
  3. 「助けて @~ @~」のスクリーンショットを送信
  4. メッセージと画像の両方をメンバー2名が既読
  5. 送信者である私がそれを見る

というのが, 奇跡の一部始終であります.

熱心な科学者の端くれである私は知っていました. いや, 知った気になっていました.

「過去など存在しない」  

ということを.

 

しかし, そこにはあったのです. 「現在」と「過去」が同時に存在する空間が.

片方のSOSのメッセージは現在も新たなメンバーの既読処理に門戸を開いていますが,

もう一方はと言いますと, "既読1"のまま時間が停止し, 私の懺悔の心とともに永遠にその姿は変わらぬことでしょう.

 

私はこの事実を形容するに, 奇跡という言葉以外を持ち合わせてはいませんでした.

先ほどまで信じていた「科学」など, なんの説明も為さぬ無用の長物と化したのです.

 

私は気付きました. このグループは次元の壁を超えたのだと. 友を真に思う私の敬虔な, 純真な愛がそれを可能にしたのです.

もはやそこには, 「時間は一方に進み続ける」などという人類を長らく縛り続けた呪言など存在せず, 一切の時間の間隔がスワイプ, タップという物理行動に干渉されうる空間がありました.

 

否, 本当に私が気づくべきなのは, 次元の壁など我ら「APEXer(グループ名)」の間には初めから存在せず, あるように見えていただけ.

というのがこの寓話の落ちにふさわしいのでしょう.

 

そして, 目が覚めたのです.

私が今までLINEを用いて生み出してきた幾多の「オモロ」は, 私の心の中のゴーストの導きや, 予定調和の重力などにあらず, LINEという事象の地平の先で起きていた奇跡だったのだと. 

 

この語りの最後に, 現在の状況を示します(Figure 3).

f:id:HIPHOP_TARO:20200118080034p:plain

Figure 3. Figure 2. 送信後のスクリーンショット

 

ご静読ありがとうございますね.

ま〜, 非同期通信かつ, 気軽に同期通信もできるLINEって便利だな, ってのがトゥルーのオチでございます.

 

 

おまけ・ユーザ名変更機能の一例

 

f:id:HIPHOP_TARO:20200124185412p:plain

FIgure 4. 俺たちの世界線

 

「過去」にオモロの初期衝動が磔になる傍,

「現在」はアイデンティティ認識の非同期による宇宙すら提示する.

感想文 15th Jan, 2020

宇多田ヒカルのアルバム「Fantome」を全部通して聴きました.

Spotifyのサブスクライバーとなった今, アルバム1本を1通り(1時間弱)聴くことなんて稀有な事態なんですが, 聴いちゃいましたね.

Tohjiの「Angel」ぶり.

ちなみに心内評価, 5です. カンストしてる.

このアルバムはおそらく, 死生観のようなものをテーマに, 相反しつつも矛盾しない情緒をメロディにのせ, ラブソングという多義的なものを表現してるのだと感じました.

 

あまりに曖昧で, ポジとネガで括ることは難しい気もしますが, このアルバムの曲の流れの中には, "アゲの曲"と"サゲの曲"があたかも無秩序にちりばめられています.

俺はそう感じました(以下、"").

ある曲ではクソ遅いテンポでしっとりと「死んだ母」について歌いますが, その次のトラックではテンポよく「恋真っ盛りの気持ち」を歌います.

そういった対義的ないくつもの感情も, 全て一貫した宇多田ヒカル個人の言葉としてレコードに落とし込んでいる, という印象.

 

また, 曲を聴く中で印象的なのが, 相反する表現でした.

「It's lonely road. But I'm not alone」, 「降り止まぬ真夏の通り雨」,  「止まない雨/癒えない乾き」, 「大好きだから嫌い」, and so on...

書いてて恥ずかしいですね.

 

以上のように, 一見して無秩序なようでありながら分離しない情緒や表現がメロディーに乗せられ, 絡まりあいながらラストトラックの「桜流し」に収束する, というのがこのアルバムのおおよその構造なのではと思いましたが, どうですか.

 

以下, 各トラックの感想

1. 道

めっちゃくちゃポッポ(POP の意)で聴きやすいやつです.

1st Verseでこのアルバムの核心である「宇多田ヒカルにとっての藤圭子の存在」に触れつつ, なんかCMで聴いたことあるHookに入ります, 入りました(書きながら聴いてる).

はいキタ

「私の心の中にあなたがいる いつ如何なる時も」

らしいです.

あと, これはこのトラックに限らず, 今後の全てに言えることですが, 宇多田ヒカルは(も)めちゃくちゃ韻を踏んでいます. 丁寧な脚韻をはじめに, 歌詞カード上では踏んでいない部分も, ハミングなどで韻を踏み, 聴感上の気持ち良さを与えてくれています. その上, 文章上で不自然さを与えない作詞能力はヤバいですね. 気がついてニヤつくPatternさながらIce Bahn.

 

2. 俺の彼女

ややDepressingなAtomoshpereの曲です.

この曲は, 「俺の彼女はそこそこ美人 愛想もいい 気の利く子だと仲間内でも評判だし」という男性である「俺」目線の太い声の歌い出しから始まります.

ひとしきり「俺」が「彼女」の自慢をしたのち, 細い声で「彼女」目線の歌が始まります.

「あなたの隣にいるのは私だけれど私じゃない/ あなた好みの女演じる内にタフになったけど いつ終わるの」

そういうヤツか〜ってなりました. 僕はこのような複数の視点から構成される文章が大好きなのでテンアゲっちゃいました. (例. Eminem, Kendrick, Creepy Nuts, 湊かなえ, and so on...)

そういった, 複雑な二人の関係は以下のような「彼女」の気持ちに集約されます.

「カラダよりずっと奥に招きたい カラダよりもっと奥に触りたい」

本来なら, 招くのは「彼女」, 触るのは「俺」という解釈が自然ですが, 宇多田ヒカルの解釈では, 奥に招きたいのも, 奥に触りたいのも両方「彼女」のようです(実際, 細く, 繊細な歌声で表現されている).

「俺」は奥まで触っているとすでに感じているのか,

または繊細な歌声は二人は分かり合えないことの暗喩なのか, 知りませんけども.

あとはなんかフランス語(?)でパパッと歌って終わり(なんか韻踏んでるくらいしかわからんかった).

この曲の構造は, 「俺」の目線の曲として始まり, 「彼女」の目線に徐々に主導権を渡していく感じ.

「俺の彼女」という曲名ですが, 「俺の彼女の私」とも解釈できそう. 

 

3. 花束を君に

バラード, ため息が出る(出た)くらいのいい曲.

「君」って誰?「涙色の花束」って何?

教えてよヒッキー...(実は普段から下の名で呼び合う仲, 嘘)

過去形の表現が多用されているので, 故人なのかな.

「普段からメイクしない君が 薄化粧した朝 始まりと終わりの狭間で」

っていう表現は葬式のことなのかな.

 

4. 二時間だけのバカンス feat. 椎名林檎

クソヤバキラーチューン(死んだ)

しっとりしたアルペジオから入り, 徐々に盛り上がっていくビートが印象的.

歌詞的には, 有名美女2名が2時間ガッツリ遊ぶって感じです. なんか不倫の歌という解釈もあるらしいですね.

個人的には, 椎名林檎が「2時間だけのバカンス/ 欲張りは身を滅ぼす」って歌ってるのが激メチャImpressiveです.

この曲では, 宇多田ヒカルの持つ死生観と, 椎名林檎の無常感という2つの感覚が「だけ」という言葉の定義を縁取っているように感じました.

この曲だけはアルバムの中で唯一, 外界の価値観が見える窓のようなイメージを得ました.

さておき, この曲はマーベル・シネマティック・ユニバース的な特別感があって.

二人とも同じ宇宙の同じ地球の同じ国に住む同業者なので, 本来は特別ではない気もしますが, このお祭り感出せるのヤバ〜.

 

5. 人魚

綺麗なスローテンポのバラード. 水中を浮上する気泡のようにきめ細かい伴奏.

ハミングが"美".

そのハミングも含めて曖昧な歌詞. 「夜中」, 「きらめく水面」,「夏」って感じの情景.

1 verse「不思議とこの場所に来ると あなたに会えそうな気がするの 水面に踊る光に誘われて ゆっくりと靴紐解くの」

2 verse「水面に映る花火を追いかけて 沖へ向かう人魚を見たの 真珠のベットが揺れる頃 あなたに会えそうな気がしたの」

全体的に文の主述関係も不確定で. ゆらゆらと揺れた心地よい曲.

「1verseの主人公」, 「1verse目のあなた」, 「2verseの主人公」, 「人魚」, 「2verse目のあなた」という登場人物があり, それぞれの対応関係が謎.

「花火」は, 7曲目の「真夏の通り雨」のMVとかでも出てくるし, お盆を連想させるので, 「あなた」は故人なのかな.

「東の空」ってなんだろ.

 

6. ともだち with 小袋成彬

小気味いい曲.

ともだちという現況から「恋人」という関係へ向かう, もどかしいベクトル感を表現.

韻律と譜割りがスコです. マジで.

俺は, (ほぼ)男子校の人間なのでラブソングの解説ができない.

 

7. 真夏の通り雨

美しく, 鬱々とした雨天のように, ゆったりとしたピアノ伴奏.

「道」が振り出し, 「桜流し」が終点であり, それ以外の9曲がこれらの2点を結ぶ曲線だとすると, 「真夏の通り雨」は劇スーパー超マジ大本命.

もちろん, アルバムという作品形態は一本道なのですが, そうでなくても, この曲は絶対に避けて通れない轍, トラックってわけ.

宇多田ヒカルが母親の藤圭子に捧ぐ愛の歌です. Wikipedia曰く, 「Fantome」は母親に捧ぐというコンセプトから走り出したプロジェクトらしいです. Wikipedia曰く.

 

まず, 宇多田ヒカルの公式メッセージ(以下のリンクの2013年夏頃のメッセージ)を読んでください.

www.utadahikaru.jp

 

 

お帰りなさい.

宇多田ヒカルの歌う「あなた」は亡くなった母親だったんですね.

今は亡き母親の情緒に振り回された日々の記憶を

「勝てぬ戦に息切らし あなたに身を焦がした日々」

と表現する一方, それを

「忘れちゃったら私じゃなくなる」

と続けます. 湿り気がすごい.

さらに,

「揺れる若葉に手を伸ばし あなたに思い馳せる時 いつになったら悲しくなくなる」

「教えて, 正しいサヨナラの仕方を」

らしいです.

 

ここで少し, 「サヨナラ」の表記に関しての僕の見解に言及します.大人気漫画「One Peace」単行本のQ&Aコーナにて作者の尾田栄一郎は「ひらがな/カタカナ/漢字」における表記揺れに関して言及していました. 内容はざっっくり次のようであったと記憶しています.

ひらがなによる表記は純粋さ, 柔らかさ

カタカナによる表記は未知のものに対して, または勢いの表現

漢字による表記は既知のものに対して, またはかたさの表現

これにより, ルフィの「オレ」, チョッパーの「おれ」, ゾロの「俺」のニュアンスを字面で表現していると.

では, 宇多田ヒカルの「サヨナラ」とは. 歌詞で述べているように, 言葉としては知っていても実現の方法がわからないものなのでしょう. 以上, 日本語の奥ゆかしさのプレゼンでした.

歌詞に戻りますと, 「思い出がふいに私を 乱暴に掴んで離さない」と, 母親との記憶に囚われている様子.

ただ, 明らかにもう一方で母親を愛している証拠が「愛しています 尚も深く 降り止まぬ 真夏の通り雨」という歌詞に現れて動きません.

"尚も"という表現の向こうに見える複雑な愛の形が

「降り止まぬ真夏の通り雨」「止まない雨/癒えない乾き」

「止まない」/「通り雨」

「雨」/「乾き」

という相反する表現で綴られています.

 

8. 荒野の狼

ロックなバイブスのかっこいい曲, お隣さんとは大違い.

インターネットによると, この曲はヘルマン・ヘッセの小説「荒野のおおかみ」と強い親和性を持つようです.

「惚れた腫れた 騒いで楽しそうなやつら そうだそうだ お互いを肯定する輩」と, 何かしらへの否定から歌が始まります.

青い恋愛をディスってんのかなって感じ.

また, 「まずは仲間になんでも相談する男 カッコいいと思って タバコ吸う女の子」

と続きます.

 

僕, 気づいちゃったんですけど, これ, アレ, ですよね.

2曲目の「俺の彼女」の「俺」と「彼女」.

 

さらに気づいちゃったんですけど, これ, 「First Love」の「タバコのflavor」ともかかってるんちゃう?どうすかね.

まあ, 「俺の彼女」の登場人物2名の恋愛感は「First Love」の恋愛感よりも大人びてて, 諦観を含んでいる気がするけど.

 

さらに「荒野の狼」では, さらにいろんなものに噛みつきます.

1st Hookでは, 「消えない痛みや恐怖」を歌っています.これは,「真夏の通り雨」に引き続きのものなのかよくわかりませんが.

 

2番の歌詞は「少し苦い飲み物で乾杯したら 青い青いシーツの 向こう岸へ漕ぎ出そう」というフレーズで幕開け. 多分「人魚」となんらかの意味的, 気持ち的な共通点があるのかな.

2nd Hookも1stと同様に「消えない痛みや恐怖」に言及つつ, 「涙見せない主義でも 今宵は私と濡れたらいい」と展開.

 

歌詞の情景描写に言及します. 1番の「タバコ」と2番の「少し苦い飲み物(にビール?)」の嗜好品による対比が印象的でした. 「通り雨」→「荒野」の移り変わりを「タバコ」の乾燥感で表現し, 二番になり登場する「ビール(?)」を踏み台に, 「涙」→「濡れたらいい」と瑞々しく展開. って感じではないかと思いますが, いかがですか.

 

この曲の最後に歌われる, 「満たされぬだけ 与えられたのは何故? 好きだ それだけで 引き留めちゃダメだよね 永遠の始まりに背を向ける私たち」

の部分では, 2曲目の「俺の彼女の私」が顔を覗かせてるような気がします. なんか「俺の彼女」の最後の方に, フランス語(?)で永遠がなんとか言ってた気がする.

 

P.S.「首輪」と「好きだ」のライミングのセンスが好き.

 

9. 忘却 feat. KOHH

バチヤバチューン.

スローテンポ. 後半の「タタタツタタタツ」のビートが好き.

多分葬式の曲.

KOHHのゲキヤバラップからスタート.

KOHHのリリックの「記憶なんてゴミ箱へ捨てる ガソリンかけて燃やしちゃえ」ってのは, 実際の宇多田ヒカルの母親の葬儀の方法に言及してるんですかね.

 

いろいろ言いたいことはあるけど, 結局はKOHH

「大好きだから嫌い/幸せなのに辛い」

がこのアルバムの複雑な情緒を全部要約して代弁してると思う. 

 

10曲目「人生最高の日」

めちゃくちゃアゲチューン. この情緒の高低差.

なんかBeyonceの「Love On Top」的なバイブス.

アルバムの中で一番ポジティブ. 前しか見てない.

 

11曲目「桜流し

ある日, 母親と見た桜の散る風景.

「Everybody finds love in the end」

という歌詞が散る桜と去ってゆく母に対する感情を美しく表します.

 

後半の歌詞では, 「もう二度と会えないなんて信じられない/桜が散るのを見ていた見ていた木立の遣る瀬無きかな」

と去ってしまった者に対する情緒を, 前半とは時制をずらして表現します.

 

ちなみに, 「真夏の通り雨」内に「揺れる若葉に手を伸ばし あなたに思い馳せる時」という歌詞が出てきています. これ, 桜が散ったあとの若葉なんでしょうね.

つまり, 「桜流し」→「真夏の通り雨」というストーリー(季節的にも)っぽい.

さらに, 「花束を君に」, 「人魚」, 「忘却」,「道」も合流して,

花束を君に」→「忘却」→「桜流し」→「人魚/真夏の通り雨」→「道」

という構図(僕の解釈).

Fantomeの曲順は

1. 道

2. 俺の彼女

3. 花束を君に

4. 二時間だけのバカンス

5. 人魚

6. ともだち with 小袋成彬

7. 真夏の通り雨

8. 荒野の狼

9. 忘却

10. 人生最高の日

11.桜流し

となっているので, よく見ると奇数/偶数で恋/愛にざっくり分けることができることがここでわかります.(僕も今びっくりしてる).

また, 「花束を君に」→「忘却」→「桜流し」→「人魚/真夏の通り雨」→「道」とストーリーを解釈した場合, 本来のアルバムのスターターであった「道」が死別の悲しみから立ち上がり, 気持ちよく各々の生活に送り出す応援歌としても機能しません?

 

ちなみに, 大人気アニメ「エヴァンゲリオン」の映画に使われてましたけど, 「Fantome」,「エヴァ」の双方のストーリーの奇跡的なシナジー. すごくない?

 

「全ての終わりに愛があるなら」がこのアルバムを締めくくる言葉.

 

余韻ヤバ.

日本語ネイティブでよかった〜