社会人の道徳・テキスト案 「同意した成人の人生」

としみちは18歳の誕生日を目前にし, 未だ形を変え, うねる暗雲をその胸に抱えていました.

 

としみちの国では, 18歳の誕生日までにたくさんの書類を提出する義務があります. としみちは4月生まれなので, 高校の同級生の誰よりも早くそれを提出する必要があります.
たくさんの書類の中で, としみちはたった1枚の同意書が埋まらずにいました. その同意書は日付と署名を必要とするのみの単純な書類で, 10秒もかからずに完成することでしょう.
しかし, その同意する内容がとしみちにとって非常に重要なのでした.

 

その同意する内容とは,
「〇〇国の国民として生きてゆくこと *正規の手続きで国籍は変更可能」
というものでした.

 

としみちは, 国の法律でそれまで保護対象少年として生活してきましたが, 18歳の誕生日をもって法律上の成人になる必要があります.
それまでに, 教育省の方針で社会見学や犯罪者・精神病罹患者面談のプログラムを履修済みのとしみちは, 同意のためにあと一歩が踏み出せずにいました.

 

としみちの両親はおおらかで, 何も言わずにとしみちを見守ります.
としみちは10歳の時に両親から成人同意の法律を説明されて以来, いくつもの質問や疑念を両親に打ち明けましたが, ここ数年にその話題はとしみちと両親の間に浮上しませんでした.
時々, としみちは両親の言葉の節々に優しさと心配, そして同意に対する認識の甘さを覚えます.

 

としみちの両親は日本からの移住者なので, 移住時に簡便な手続きを済ませたのみで, 成人同意を済ませていません.
しかし, アクティビストの彼らは成人同意に対する理解も深く, としみちの人生を強制しまいと考えていたのでした.
その考え方はいわば成人同意制度に対するマジョリティーの考え方で, 時世にマッチしていると言えるのですが, ただ一点, 経験だけがとしみちの両親には欠落していました.

 

としみちは, 近所に住んでいたまゆこ姉さんの墓に久しぶりに行くことにしました. 中学校の頃は何か思いつめたことがあるとよく来ていたのですが, 最近来ていないことを思い出したのです.

 

まゆこ姉さんはとしみちが子供の頃に町内でよく可愛がってもらっていた人間でした. としみちは, まゆこ姉さんは失恋の後に自殺したと聞いています.
あんなに魅力的で知性に満ち溢れた人がこんなに呆気なく死んでしまったことに, としみちは深く心を痛めました.
としみちはまゆこお姉さんの墓に来るたびに, 「完成された人間などいない」ということを痛感します.
それは, 教育カリキュラムでは学べない, としみちだけの真理でした.

 

としみちは少し昔を思い出し, 泣きました. 涙を風が乾かした頃, 日は暮れており, 空腹を感じました.
としみちは, すでにできているであろう食卓を思い浮かべ, 墓の前の坂を家に向かって下りました.